日本を旅するブログ

旅行会社に勤めて4年目のOL。月に1度、添乗員として日本各地を旅しています。仕事とプライベートを合わせた旅の日記。どなたかの役に立てば、また良い暇つぶしになれば幸いです。よろしくお願いします。

熊本県・天草と長崎県・島原の旅②

こんにちは🎵昨日の続きです。

 

引き続き、熊本県天草の見どころをご紹介します。

この日の午前に訪れたのは、崎津集落です。

 

ここ、天草地方の崎津集落は、2018年、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成要素のひとつとして世界遺産に登録されています。

現在も300世帯以上の信徒が生活しています。港にある漁村のため、漁村特有の信仰形態を育んだ集落だともいわれています。

 

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画質が悪くて申し訳ありませんが、オーストリアにある湖畔の街、ハルシュタットの日本バージョンともいうことが出来るのではないでしょうか・・・?

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集落の、至る所でくまモンを発見しました。地元愛を感じますね。

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美味しそうなミカンも売っていました。

1805年に潜伏キリシタンが発覚する「天草崩れ」の舞台となった崎津諏訪神社。神社の階段の横には、キリスト教解禁後の1888年に崎津に建てられた教会の跡地である旧崎津教会跡、1927年に崎津教会の司教として着任したハルブ神父の墓も残されています。

崎津集落を訪れる人向けのビジターセンターのある駐車場を出発して10分ほど歩き・・・、明治時代に4軒あった漁師網元の中で、唯一現存している家屋「旧網元宅」を通り、そして崎津諏訪神社を通ると、ようやく崎津教会が見えてきました。

こちらが、崎津教会です。

集落内に位置する崎津教会は、2018年に世界遺産登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成要素のひとつ。

長崎の建築家・鉄川与助により1934年に建てられたゴシック様式の教会です。

 

内部は国内でも数少ない畳敷きであることから「畳の教会」とも呼ばれています。教会は途中から資金不足のため木造建築となっており、正に西洋のキリスト教文化と和が混ざり合った建築様式でした。

横から見ると、教会の後ろ部分が木造建築になっているのがわかります。

「日本建築の父」と呼ばれる鉄川与助さんの建築は、同じく世界遺産登録されている長崎県五島列島の教会群でも多く見たことがありますが、こんな珍しい教会は初めてです。

天気が悪かったですが、途中少し晴れました。

教会の前の目抜き通り(と呼んでいいのか?)には、お土産店や飲食店がちらほら。

熊本県は日本で初めてイチジクが輸入された県ということで、イチジクのお土産も売っていました。このイチジク餅、美味しかった!

20分ほどの、クルージングもできます。

お昼は、崎津教会から歩いて3分ほどのお寿司屋さん『海月(くらげ)』にて、いただきました。

白身系のお魚を中心とした握り寿司です。

崎津集落を出発し、午後はロザリオ館と大江教会へ。

天草ロザリオ館。こちらも、天草のキリシタン史について、禁教時代にどのように信仰を続けたかなどについての展示品が中心になっています。

ロザリオ館の駐車場から、大江教会までは歩いて5~10分ほど。

隠れキリシタンの存在が露わとなった「天草くずれ」について、信仰を唱えた「隠れ部屋」や、

仏式で行われた葬儀の際に仏僧のお経に合わせてひっそりと隠れ言葉を唱えながらお経を壺の中に閉じ込めて死者を送り出す役割を果たした「経消しの壺」、

聖母子像に見立てられた「マリア観音」など、、、、見ごたえのある展示が多くあり、けっこう面白かったのでおススメです。30分くらいあれば、十分にみられると思います。

続いて、大江教会へ。

けっこうな階段を上っていきます。

白亜の、とてもきれいな教会でした。

1933年、天草への伝道に生涯を捧げたフランス人宣教師ガルニエ神父が地元信者と協力して建立した教会の敷地内には、ガルニエ神父の像やルルド聖母マリア像があり、今でも天草キリシタンのシンボル的な存在となっています。

ガルニエ神父の像

今日は、ここまでです。

天草地方には教会だけではなく隠れキリシタンや島原・天草一揆について詳しく学ぶことのできる資料館や展示館が多く残されていて、とくに事前知識などなくても楽しく学習することができます。

次は、いよいよ海を渡って長崎県・島原についてご紹介します。😄