沖縄 南大東島とケラマ諸島の旅②
こんばんは!
今日は、終日南大東島の観光です。
6時30分を過ぎると日が昇り、明るくなってきました。
本日最初に向かったのは、気象台です。
ここは国内に16か所あるバルーン打ち上げによる気象観測所のひとつで、毎日8:30と20:30の2回、自動で観測機が打ち上げられます(英国の時差の関係で、正確には9時と21時です)。
打ち上げられたバルーンは約360m/分の速さで浮上して、上空から約30kmまでの気温・湿度を観測し、電波で地上の施設にデータを転送します。日本だけではなく世界各地で同時に飛ばすことで、複数のデータをもとにより正確なデータを割り出しているのだそう。
ほんの一瞬の出来事でしたが、無事に白いバルーンが打ちあがる様子を見ることが出来ました。このバルーンは天然ゴムで使用しているため自然に還りますが、装置はなんと1個3万円するとのこと。なんと、拾える確率は宝くじに当たるよりも低いそうです!!
続いて、10日ぶりに定期船が那覇から入港したとのことで、港へ向かいました。
ギリギリまで接岸してクレーンでコンテナを運ぶ様子の珍しさに、今では観光名所のひとつともなっています。
船は那覇から14時間かけ、ゆっくりと南大東島にやってきて食料などの物資を運搬します。乗船している人も一緒にクレーンで運ぶという、南大東島ならではの光景です。
続いて、近くにある「南大東島開拓百周年記念碑」へ。
1900年1月23日、遠く伊豆諸島の八丈島から23名の開拓者が来島。
それまで「絶海の孤島」と言われていた南大東島が、人の生活する島になるための大きな役割を果たしました。
そのため今でも南大東島は、沖縄県に属するにも拘わらず仏教信仰が根付いていることやお地蔵様があること、また八丈島の名産「島寿司」が食べられるなど、八丈島と沖縄の文化が混合している興味深い島なのです。
23人の開拓者たちは製糖会社が島の全土を支配していた関係で撤退を余儀なくされ、残念ながら子孫は残っていませんが、沖縄本土のみならず八丈島からも移住してきた人は多いと言われています。
そのあとは、島で唯一見学できる鍾乳洞「星野洞」へ。
島には高校がないため、子供たちは15歳の春に進学のため那覇などへ進学し、親元を離れます。その後も大学や専門学校へ進学など、島に戻るのは成人式までないのです。
そのため、島では中学卒業と成人式を盛大に祝います。
知っている人も知らない人も、家を訪問してお祝い金をもって回るのだそう。
その時に振る舞うため、15歳の子を持つ家では料理を盛大に振る舞います。
とってもとっても見ごたえのある、美しい鍾乳洞でした。
南大東島を訪れた際はぜひ、足を運んでみてください(^^)
サウナみたいに暑いので(代謝のいいひとは特に?)気持ちがいいかもです。
続いて訪れたのは、ふるさと文化センターです。
サトウキビの運搬を担っていた「シュガートレイン」の唯一現存するビデオが残されている貴重な資料館で、他にも島の開拓史やかつての生活用具、島で見られる動物の模型なども展示されており、歴史や文化が好きな人は、それなりに楽しめます。
↑の写真、暗くて全然列車が見えていない笑
ようやくお昼ごはんです🎵
南大東島の名物、「大東そば」をいただきました。
極太の縮れ麺で、そこまでコシも強すぎずに食べやすかったです。上にのっているチャーシューがおいしかった・・・。
そば粉を使っていないので正確にはうどんですが・・・、頼み込み?、そばという名前が付けられたのだそうです。
サトウキビは寒い時期に糖度を増すため、12月下旬から春にかけてが収穫時期です。
サトウキビ畑が圧倒的に多いですが、うまくいけば儲かるので、ちらほらとカボチャ畑も見かけました。大東島産のカボチャは、日焼け止めをかぶせられたりとひとつひとつ非常に丁寧に作られているとのこと。
続いて向かったのは、「南大東漁港」です。
よく見ると、まだ少し軽石が残っていました。
のんびりと釣りをする人も。。。
個人的に、南大東島で1番好きなスポットになりました♪
時間が許せば、何時間でもぼんやりしていられそう。。。
続いて、バリバリ岩へ。
「バリバリ岩」は、南大東島の観光名所のひとつ。
簡単に言うと、地殻変動により真っ二つになった大きな岩山です。
約4800万年前に誕生し、フィリピン海プレートに乗って少しずつ移動をし、現在の位置へとやってきた南大東島。
現在でも1年で北西方向に約7センチずつ移動していると言われています。
まさに、そんな地殻変動によって成り立った南大東島を「実感」することの出来る場所です。
続いて、本場海岸(本番とも書いて、ほんばかいがん)へ。
続いて、ラム酒工場へ。
獲れたさとうきびを搾汁し、糖蜜と分け、それぞれの原料を機械で殺菌します。その後、発酵⇒蒸留し、熟成タンクに入れて熟成、ろ過へと丁寧な行程を経て、『CORCOR』の黒糖を使ったラム酒の完成。
アルコール度数が40%と20%くらいに分かれていて、どちらも試飲させてもらいました。
「美味しい!」って飲んでいる方もいましたが、黒糖の甘みが風味にあるとはいえ、やっぱり強いお酒を美味しいとは思えませんでした(;^_^A
続いて、海軍棒海岸(プール)へ。
夏になると、地元の人のプールとして賑わう海岸です。
南大東島は珍しいことにビーチがなく、島は断崖絶壁。
続いて向かったのは、島の南部にある「日の丸山展望台」です。
ここは島で一番高い場所に位置し、島の景色を一望できる場所です。
南大東島は、サンゴ礁の隆起によってできた島ということもあり、島全体の標高が低く、山がひとつもありません。
例えば鹿児島県の屋久島は地殻変動による海底の隆起によって、東京伊豆諸島にある八丈島は富士火山帯に属する火山島であるため標高の高い山が多いので、こうやっていろんな島を訪れてその島の成り立ちについて学習するのも、その島を知る上では欠かせないことだと思います。
この日はとても天気が良かったので、北大東島まで見渡すことができました🌞
最後に、昨日も訪れた塩屋海岸へ向かいました。
17時30分頃、ホテルに戻ってきました。
大東羊羹は、ホテルの売店、スーパーなどでも購入できます。
塩黒糖味に抹茶味、あずきなど4種ほどフレーバーがありますが、どこで購入しても1000円くらいです。
本日は非常に盛りだくさんの1日でした!
沖縄 南大東島とケラマ諸島の旅①
こんばんは!
仕事で5日間、沖縄に来ています。
数日前まではかなり天気が悪かったようですが、今日はすごく天気が良かったです🎵
沖縄諸島にあってもそのまたはるか遠くにあり、その地理よりほかの陸地と接することもなかったことから「絶海の孤島」と呼ばれています。
まだまだ観光客も少なく、「日本で一番海の透明度が高い島」とも言われています。
1日目の今日は主に移動が中心でした🛫
羽田から那覇へ、那覇からRAC(琉球エアコミューターのプロペラ機にて)北大東、そこからさらにプロペラ機を乗り継ぎます。まさに、1日かかりの大移動です。
北大東島から南大東島までは、飛行時間はなんとたったの7分!!
そのため、「日本で最も飛行時間の短いフライト」と言われています。
到着後、宿泊する「ホテルよしざと」のよしざとさんが、送迎車にて迎えに来てくださいました。
まん防と来島自粛が解除されたこともあり、南大東島行きのフライトは、観光客ではなくインフラ整備の工事で(つまり仕事で)やってくる、工事の作業服を着た男性の人が多かったです。
なんと、今日もホテルよしざとさんには50人以上の宿泊客がいて、そのほとんどが工事で島に来ている方たちだそう!
フロントには、夕食用のお弁当がずらりと並んでいました。。。
夕方、現地のガイドさんとともにサンセットが綺麗にみれるという「塩屋海岸」へ。
海岸には釣りをする子供の姿も。
南大東島は、砂浜がない島としても知られています。
その後は、島で最古の神社「大東神社」へ。
島に300頭ほど生息している、ダイトウオオコウモリを見に行きました。
天然記念物に登録されているダイトウオオコウモリ。夕方になると、食料を探して気が生い茂る大東神社にやってくるそうです。餌とするのは木の実(モモタマナやパパイヤ、グアバ、夏になるとドラゴンフルーツなど)、フルーツや花の蜜など。
羽を広げると、なんと1メートルもの大きさがあるのだそう。びっくりです。
首の周りが家で覆われていて、雄が色がついていて、メスは白い色なことが特徴。
南大東島には本土や奄美大島にいる蛇やハブはおらず、さらにカラスや鳩、獣類もいません。のんびりと小鳥や渡り鳥がやってくる、平和な島です。
夕食は、ホテルよしざとの隣にある『居酒屋ちょうちん』にていただきました。
ちょうど、まん防が解除されたこと、金曜日の夜ということもあり、お店は現地の若者や衛星大学の学生さんグループ、また工事の仕事でやってきている方などでかなり賑わっていました。
明日は、終日南大東島の観光です。
今日は4時半起きだったので眠い・・・。それでは⭐
屋久島の高級リゾート・サンカラホテル3連泊の旅①
こんにちは!
今回は、12月に仕事で訪れた鹿児島県・屋久島にある高級リゾートホテル『サンカラホテル&スパ』について、全4回に分けてレポートいたします。
まず、もう、、、本当に、すっごくよかったです。
昨年は仕事で、毎月のように全国各地の良いお宿(クラシックホテルやマリオット系列のホテル、隠れリゾートホテルなど)に宿泊させて頂いたのですが、断トツで、今回宿泊したサンカラホテル&スパが、おもてなしからサービス、お食事に何から何まで・・・最高でした☺
屋久島の観光も併せて、書いていきたいと思います。
まず、1日目です。
今回は羽田⇒鹿児島空港から、鹿児島港より高速船にて屋久島へと向かいました。
朝早くのフライトだったため、鹿児島市の市街地を一望できる「城山展望台」へと立寄りました。
この城山展望台は高台の上にありますが、鹿児島県民にとっての大スター、西郷隆盛ゆかりの地としても知られています。
薩摩藩と新政府軍の激戦が繰り広げられた西南戦争にて、最後に西郷隆盛が5日間身を隠した「西郷洞窟」や「西郷終焉の地」など、西南戦争にまつわる 史跡が多く存在しているみたいです(今回は時間がなかったので立寄ってはいませんが)。
その後は鹿児島港へ。
ちょうど、修学旅行の高校生がたくさんいました。
昼食は、港の目の前にあるお寿司屋『めっけもんドルフィンポート店』にて、お寿司をテイクアウトし、出航迄の時間にターミナルでいただきました。
そのあとは、13時出航の高速船にていよいよ屋久島へ。。。このころはまだオミクロン株流行前だったので、高速船は1,2階どちらもほぼ満席でした。
途中、種子島を経由し、2時間30分かけて定刻の5分遅れ、15時35分にようやく屋久島港に到着です。
ホテルへ向かう途中、屋久杉自然館に立ち寄りました。
屋久杉の森は手付かずの秘境ではありません。500年余り前から屋久島の人々は巨木を倒して利用し、暮らしてきたのです。
杉は日本の固有植物と言われるスギ科の杉で、屋久島の山地に自生し、樹齢1000年を超える杉を屋久杉と 呼んでいます。輪切りにした円板の年輪は1,660本あります。
中心部は直径37㎝ほどで500本も年輪があり、対戦成長が遅いことがわかります。このように、成長の遅い屋久杉は材質が緻密で樹脂分が多く、腐りにくいので長命だと考えられているそうです。。
入り口には、屋久杉で作られたお土産も少し売っていました。
30分~じっくり見たい方でも、1時間あれば十分かなあと思います。
その後は、いよいよ3連泊するサンカラホテルへ!🚌
まずは、ウェルカムドリンクとともにチェックインの手続きを。
一部屋につきひとりのスタッフさん(バトラー)が付いて、ケアをしてくれます。
フィナンシェに、左から3番目の塩ココアクッキーが美味しくって、滞在中たくさん食べてしまいました・・・笑
チェックインの手続きを済ませた後は、いよいよ、お部屋へ・・・
敷地内はひとつひとつのヴィラになっており、歩くと3~5分ほど時間が掛かるため、バトラーさんがカートで送り迎えをしてくれます。
今回宿泊したのは、「サントラヴィラ棟」です。お部屋の広さは53㎡と、かなり広々としたつくりになっています。
ヘアブラシは今でも大切に愛用させていただいております・・・。
「マリアージュ」がおいしくて、毎晩、お風呂から上がった後に飲んでいたなあ。
本当に、お部屋は素晴らしかったです✨
このあと夕食をいただきましたが・・・長くなってしまったので、次回の投稿に続きます!
熊本県・天草と長崎県・島原の旅③
こんにちは🎵前回の続きです。
この日は鬼池港(おにいけこう)から、朝8時30分出発の「フェリーくちのつ」にて、口之津港(くちのつこう)に向け出発です。気持ちの良い天気の中、約30分の船旅で、あっという間に熊本県⇒長崎県の口之津港に到着。
この日、最初に向かったのはの歴史の教科書にも出てくる「島原・天草一揆」の舞台となった「原城跡」です。
世界遺産に登録されています。
今ではほとんど何もない場所ですが、そこは確かにかつて天草四郎をはじめとする約3万人の一揆軍と約12万人の幕府軍による4か月に及ぶ攻防の末、一揆軍のほぼ全員が命を落とした場所です。
空濠跡、ホネカミ地蔵や多聞櫓の跡、竪穴建物群跡など、この地で起こった戦いがいかに激しいものだったのか、現代に伝えています。
島原・天草一揆の影響により徳川幕府の禁教はさらに強まり、国内のキリシタンは人目につかない集落などへ移り住むことを余儀なくされ、長期の潜伏の中で独特な宗教的伝統が発生しました。
原城跡は、こうした独自のキリスト教信仰という伝統が生まれるきっかけとなった始まりの場所と位置付けられています。
その後、昼食は島原城近くの『姫松屋』さんにて、具雑煮定食をいただきました。
なかでも篠塚邸、鳥田邸、山本邸の3件を見学しました。
続いて、島原城へ。
このお城はもともと五条(奈良県)から入封した板倉重政により築かれ、1618年に7年の歳月を経て完成、その後は松倉氏・高力氏・松平氏・戸田氏など、名だたる大名らの居城として使用されていました。
島原の乱では一揆軍の猛攻撃をしのぎ、幾度かの地震や津波にも耐えてきました。
明治維新で廃城となり解体されましたが島原市民の御城復興願いにより1964年、現在の姿に復元され、今では島原におけるキリシタン史や郷土史料、民族展などを多数展示した観光施設となっています。
5階の天守閣・展望所からは、島原の町だけではなく、遠く熊本の山々を一望することもできます。
お城の前には売店もあり、お土産を買うこともできる場所です。
仕事で長崎に来るのは3回目でしたが・・・なかなかに広くて見どころも、離島も多いので、なかなか1回の旅行では回り切れないなぁと感じた旅でした。
今回も読んでいただきありがとうございました😄
熊本県・天草と長崎県・島原の旅②
こんにちは🎵昨日の続きです。
引き続き、熊本県天草の見どころをご紹介します。
この日の午前に訪れたのは、崎津集落です。
ここ、天草地方の崎津集落は、2018年、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成要素のひとつとして世界遺産に登録されています。
現在も300世帯以上の信徒が生活しています。港にある漁村のため、漁村特有の信仰形態を育んだ集落だともいわれています。
崎津集落を訪れる人向けのビジターセンターのある駐車場を出発して10分ほど歩き・・・、明治時代に4軒あった漁師網元の中で、唯一現存している家屋「旧網元宅」を通り、そして崎津諏訪神社を通ると、ようやく崎津教会が見えてきました。
集落内に位置する崎津教会は、2018年に世界遺産登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成要素のひとつ。
長崎の建築家・鉄川与助により1934年に建てられたゴシック様式の教会です。
内部は国内でも数少ない畳敷きであることから「畳の教会」とも呼ばれています。教会は途中から資金不足のため木造建築となっており、正に西洋のキリスト教文化と和が混ざり合った建築様式でした。
「日本建築の父」と呼ばれる鉄川与助さんの建築は、同じく世界遺産登録されている長崎県・五島列島の教会群でも多く見たことがありますが、こんな珍しい教会は初めてです。
お昼は、崎津教会から歩いて3分ほどのお寿司屋さん『海月(くらげ)』にて、いただきました。
崎津集落を出発し、午後はロザリオ館と大江教会へ。
隠れキリシタンの存在が露わとなった「天草くずれ」について、信仰を唱えた「隠れ部屋」や、
仏式で行われた葬儀の際に仏僧のお経に合わせてひっそりと隠れ言葉を唱えながらお経を壺の中に閉じ込めて死者を送り出す役割を果たした「経消しの壺」、
聖母子像に見立てられた「マリア観音」など、、、、見ごたえのある展示が多くあり、けっこう面白かったのでおススメです。30分くらいあれば、十分にみられると思います。
続いて、大江教会へ。
1933年、天草への伝道に生涯を捧げたフランス人宣教師ガルニエ神父が地元信者と協力して建立した教会の敷地内には、ガルニエ神父の像やルルドの聖母マリア像があり、今でも天草キリシタンのシンボル的な存在となっています。
今日は、ここまでです。
天草地方には教会だけではなく隠れキリシタンや島原・天草一揆について詳しく学ぶことのできる資料館や展示館が多く残されていて、とくに事前知識などなくても楽しく学習することができます。
次は、いよいよ海を渡って長崎県・島原についてご紹介します。😄
熊本県・天草と長崎県・島原の旅①
こんにちは!
昨年11月に仕事で訪れた、熊本県・天草地方と長崎県・島原地方について、レポートしたいと思います。今後訪れる方の参考になれば、また「よく知らない土地だなぁ」という方にとって、「こんな場所があるんだ~」と暇つぶしになれば幸いです🎵
いくつか、ハイライトを絞ってお伝えします。
まず、1日目は羽田空港10:10発の日本航空627便にて熊本空港へ・・・🛫
お昼頃に熊本空港到着。到着後は、バスにて不知火(しらぬい)の道の駅にある『海鮮料理 いさり火』にて名物の「貝汁定食」をいただきました。
昼食後は、2015年に明治日本の産業革命遺産のひとつとして世界文化遺産に登録された「三角(みすみ)西港(にしこう)」へ。
司馬遼太郎の『坂の上の雲』の舞台としても使用され、石畳の湾港や洋館など、明治期に造られた姿がそのまま残っています。着後、龍驤館(りゅうじょうかん)、石積み埠頭、橋と排水路、またかつての旅館を復元し多くの賓客をもてなしてきた浦島屋などの外観を見学。
お土産店やカフェもあり、1時間~1時間30分くらい時間をみると、ゆっくり滞在を楽しめるかなぁと思います。
その後は、バスにて天草五橋をわたり、九州本土から天草諸島へ。。🚌
ここ、熊本県の天草地方は地図で見ると少しわかりづらいですが、「離島」になっており(大きく分けて、上の島を「上天草」、下の島を「下天草」と呼びます)、その小さな島々が橋でつながれています。その5つの橋の総称を「天草五橋(あまくさごきょう)」と呼んでいます。
三角と大矢野島を結び、五橋の中で最も海面から高い場所にある1号橋(天門橋)
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大矢野橋と永浦島を結び、ベージュ色のアーチが特徴な2号橋(大矢野橋)
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永浦島と大池島を結ぶ3号橋(中の橋)
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大池島と前島を結び、五橋の中で510mと1番の長さを誇る4号橋(前島橋)
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前島と天草上島を結ぶ赤い5号橋(松島橋)
・・・と、上記5つの橋を渡ります。それぞれの橋によって特色があるのもまた面白いです。
2・3・4号橋の3つの橋を眺めることができる松島展望台に少し立寄りました。
ちょっとこの日の天気はどんより曇り空・・・と、雨が降ることはありませんでしたが、観光するにはちょっと寂しい天気でした('_')
展望台に立ち寄った後は、天草キリシタン館へ。
⭐天草キリシタン館とは
島原・天草一揆で使用された武器やキリシタン弾圧期の踏み絵、隠れキリシタンの生活が偲ばれる マリア観音など、約200点の展示品があるミュージアム。
天草キリシタン史、南蛮文化の伝来と天草、天草・島原の乱、乱後の天草復興とキリスト教信仰と4つのブースに分かれて展示がされています。
時間は・・・30分~1時間あれば、十分かな。展示は2階が中心で、そんなに広くないです。修学旅行の学生さんたちがちらほら来てたりもしました。
2018年に、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産登録されましたが、構成資産が12あるうち、11は長崎県にありますが唯一1つはここ天草地方にあります(詳しくは、次回以降の記事で、また報告しますね)。
そのため、天草地方にはキリシタン関連の資料館が沢山あります。
遡ること戦国時代、豊臣秀吉の「禁教令」に始まるキリスト教弾圧の歴史から・・・ここ、天草地方には多くの隠れキリシタンと潜伏キリシタンが生活していたのです。
天草キリシタン館の見学後は、ようやく宿泊ホテルへ。17時30分くらいに到着しました。
「下天草」の有明海に面したホテル。
ホテルには内風呂と、ホテル敷地内にも温泉施設があり、またチャペルもあるなど、結婚式場としても利用されています。
ではでは、長くなるので②に続きます。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました😄🎵
雲仙観光ホテル③
こんにちは!
かなりご無沙汰になりましたが、昨年11月に訪問した長崎 雲仙観光ホテルの続きです。昨年の記事から遡って読んでいただけると幸いです。。
宿泊した、2日目の朝🌞
朝食もコース料理となっており、30~40分時間をかけ、ゆっくりといただきます。
このあと、メインの卵料理があり(すいません写真はありませんが)
宿泊客の数も少なく、ゆったりとした朝食を楽しむことが出来ました🎵
朝食後は、11時のチェックアウトまで時間があったので、ホテルから歩いて徒歩5~10分ほどの場所にある「雲仙地獄遊歩道」へ。
きっと、ぽかぽかとした湯煙につつまれて、お昼寝しているんだろうなぁと思いながら。
雲仙地獄遊歩道の周りは10分~奥まで行くと1時間くらいと、整備された(写真のようなコンクリートの)歩道があり、数10メートル間隔に現在地とセットになった地図があるので、迷うことなく散策を楽しめるかと思います。
時間があったので、となりの神社へも。
この神社の境内には「夫婦柿」と呼ばれる、恋愛成就に良いとされるパワースポットがあります。境内の左奥の場所にありました。(たしか、両手で柿の木を抱き、2本一緒に下から上に撫で上げて願い事を唱える・・・といった方法だったと思います、難しくてできなかった笑)
1泊2日でしたが、ゆっくりと、九州唯一のクラシックホテル『雲仙観光ホテル』でのホテルライフを楽しむことが出来ました。コロナ以前は、外国人観光客でかなり賑わいを見せていたようですが、現在はそんなこともなく。
温泉地としてもとても良い場所ですので、機会があればまだ空いている今の時期に訪問してみてはいかがでしょうか😄